ニチガス(日本瓦斯)歴代社長

名前 評判・実績・評価など

柏谷邦彦

(かしわや・くにひこ)

柏谷邦彦

【就任期間】
2022年5月2日~
現在

【生まれ】
1971年1月6日

投資ビジネスや海外ビジネスの経験が豊富。オリックスから転職。大物経営者だった和田社長のもとで実績を重ね、後継者に選ばれた。就任から一年後の2023年5月、訪問販売(営業)のやり方に問題があったとして、消費者庁から一部業務の停止命令を受けた。消費者庁から一部業務の停止命令を受けた。

社長就任時の年齢

51歳

社長就任前の役職

専務(コーポレート本部長)

前任者の処遇

和田社長は代表権を持たない取締役会長に

入社年次

2012年3月(中途入社)

出身校

一橋大学院(法学)=1997年3月修了

コーネル大学院(法律)=1998年5月修了

入社の経緯

オリックスに勤務していた2011年、元上司の紹介で、和田眞治・ニチガス社長(当時)と出会った。ニチガスはちょうどそのころ、米大手銀JPモルガン・チェース系ファンドがニチガスの株式19%を取得し、筆頭株主になったときだった。このため、和田社長は国際的で資本政策にも詳しい人材を求めていたようだ。一方、様々な業種のМ&Aなどに携わってきた柏谷氏は「一つの事業に長期にわたって取り組みたい」と考えていたとされる。そんな2人の思いが一致し、ニチガスへの移籍が実現した。

略歴

米国弁護士、米国公認会計士の資格

1997年に一橋大学の大学院を修了後、渡米する。米国のロースクール(法科大学院)で学ぶ。現地で、米国弁護士と米国公認会計士の資格を取得した。

名門会計事務所で活躍

1999年、米国の大手会計事務所「アーンスト・アンド・ヤング」(EY)に入社。ニューヨークの国際税務部門や投融資部門に勤務する。

帰国後、オリックスで投資担当

結婚を機に日本へ帰国し、2003年3月オリックス入社。海外投資部門に配属される。審査や交渉などを担当。

海外事業やITを推進

2012年3月にニチガスへ転職。2013年6月取締役。海外事業部長、資本戦略部長、IT担当を務める。2018年代表取締役専務。

社長就任前の実績・評価・評判

東京電力との提携で成果

海外事業やITで実績を重ねたほか、東京電力グループとの業務提携でも成果を出した。

消費者庁から業務停止命令(行政処分)

消費者庁は2023年5月24日、ニチガスに対して業務停止命令を出した。期間は3か月。訪問販売に関する一部の業務が対象。

訪問販売で特定商取引法違反

消費者庁は、ニチガスが訪問販売の際に、目的を明らかにしなかったり、料金に関して事実と異なる説明をしたりしたのは特定商取引法違反に当たるとした。

「お知らせがありまして」とだけ告げる

具体的には、2021年3月~2022年3月、訪問販売の際に「お知らせがありまして」とだけ告げるなど、契約締結の勧誘が目的であることを明らかにしなかったり、「ややこしいからいい」と断った相手に「簡単に済む」などと再勧誘したりしていた。

年間の料金が安くなる事実がないのに

2022年2月には、訪問先が契約する事業者と比べて年間の料金が安くなる事実がないのに「1年を平均すると切り替えた方がメリットがある」などと説明したという。

ブローカー営業で有名

プロパンガス業界では、「ブローカー」と呼ばれる営業代行会社と業務委託契約を締結し、営業活動の手足として活用する例が多い。ニチガスはその最たる例として有名だ。消費者庁が問題事例としたニチガスの6件のケースの多くでは、多くにブローカーの社員が関与していた。

法律や安全性などに関する知識の不足

ブローカー営業はトラブルを起こしやすい。ガス関連の法律や安全性などに関する専門知識が足りない傾向があるからだ。過剰な金儲け主義の営業スタイルも問題だ。そもそも、ブローカーには、ガラが悪く、知性が低く、強引な輩(やから)が多い。

新聞勧誘など異業種からの参入も

ブローカーの多くの場合は出来高制で、契約額が高くなるほど、手数料を多く得られる。1件当たりの契約額が大きいLPガスでは高額の手数料を得られる。新聞勧誘など異業種からの参入も多い。

経営者としての最大の課題

柏谷社長には、こうした経営体質や業界体質を抜本的に改善する取り組みが、早急に求められる。経営者としての最大の課題だと言っていいだろう。

出身地

兵庫県

趣味(社長就任時)

登山


和田眞治

(わだ・しんじ)

和田眞治
創業者

【就任期間】
2005年6月29日~
2022年5月

【生まれ】
1952年

【死去】
2024年12月29日(享年72歳)

営業本部長を兼任したまま社長に就任。会社の営業力をさらに高め、長期にわたる安定成長を実現した。

社長就任時の年齢

52歳

社長就任前の役職

専務

前任者の処遇

後藤正雄社長は副会長に

入社年次

1977年

出身高校

大田高校

出身大学

成城大学(経済学部)=1977年卒業

略歴

営業畑

入社以来、ひたすら営業畑を歩んだ。 強力な営業網を築いた立役者。1997年取締役(営業部長兼西関東支店長)、2000年常務、2004年専務(営業本部長)

国際的な視野

30代前半のとき、社内で電力事業に新規参入する米国ハワイ州のガス会社の買収を立案した。「いずれ、日本でも電力会社と一緒に仕事をする時代がくる。会社を成長させるチャンスだ」と必要性を訴えた。だが、役員会で「夢物語」と一蹴された。

出身地

島根県大田市出身

社長としての実績

米国テキサス進出

米国事業で成果をあげた。2011年に米エントラスト・エナジー社に出資し、テキサス州での電力販売などに進出。米シェルと包括的なエネルギー調達契約を結び、わずか3年で顧客数を20万件近くまで伸ばした。

オーストラリア

オーストラリアでは、商業向け電力小売り事業を展開するコーゼロ社に出資。電力効率化のノウハウを吸収し、日本での電力・ガスのパッケージ販売に生かした。

米JPモルガン・チェース傘下のファンドと11年に資本業務提携

2011年、JPモルガン・チェース傘下のファンドの出資を受け入れた。JPモルガンの助言を得ながら、都市ガス子会社4社の完全子会社化や増配などを推進。資本市場での評価を高めた。

システムをクラウド化

社内の情報システムのクラウド化により、ガスの配送・検針・保安などの業務を効率化した。現場のデータの入力・集計や伝票処理といった作業を大幅に圧縮。作業のミスや漏れ防止にもつながった。電力小売りへの参入の際にも効果を発揮した。毎年4万~5万件ずつ顧客数が増え続けても、販売管理費は同水準を維持した。

人柄・性格

若いころからモーレツ営業マンとして有名だった。より多くの顧客と会うことを心掛けていたという。趣味のゴルフでは、普段の仕事とはまったく関係のない人たちとフリーでパーティーを組んでいた。
島根県人らしい辛抱強い気質を持っていることでも有名。

逝去

2024年12月29日死去。享年72歳。死因は呼吸不全。


後藤正雄

(ごとう・まさお)

後藤正雄

【就任期間】
2000年6月29日~
2005年6月

【生まれ】
1935年

【死去】
2012年12月4日(享年77歳)

社長就任時の年齢

64歳

社長就任前の役職

副社長

前任者の処遇

石橋幸弘社長は代表権のある会長に

入社年次

1958年

出身校

関東学院大学(経済学部)

略歴

1958年の入社時、社員はわずか20人程度だった。毎日、先輩の車に同乗し、卸売を巡回した。 当時のニチガスは卸売が中心で、直売はわずかだったが、1959年から直販重視へ転換。その流れを現場で引っ張った。 取締役、常務、専務を経て1999年6月に副社長。

出身地

島根県

逝去

2012年12月4日、死去。享年77歳。死因は心不全。葬儀の喪主は妻ミナ子(みなこ)さんが務めた。


石橋幸弘

(いしばし・ゆきひろ)

【就任期間】
1987年6月~
2000年6月

【生まれ】
1932年

【死去】
2008年8月16日(享年76歳)

ニチガスを簡易ガス日本一に育て上げた立役者。

社長就任時の年齢

55歳

社長就任前の役職

専務

前任者の処遇

本山修策社長は代表権のある名誉会長に

人事の背景

本山社長が82歳と高齢になったため若返りを図った。

入社年次

1950年岩谷産業入社、1955年日本瓦斯へ移籍

出身校

1950年3月、島根県立浜田高校(旧制浜田中学)の第1期生として卒業

略歴

創業者の岩谷直治氏(岩谷産業)、初代社長の本山修策氏を支えた。

1950年(昭和25年)岩谷産業入社
1955年(昭和30年)日本瓦斯入社
1958年(昭和33年)取締役
1973年(昭和48年)9月、専務・営業本部長。

出身地

島根県浜田市出身

モットー

好きな言葉は「憂きことのなを此の上に積れかし 限りある身の力ためさん」。

趣味

趣味は読書、ゴルフ、囲碁。

会社以外での役職

1996年6月~2008年6月、簡易ガス協会会長(第4代)。

逝去・葬儀

2008年8月16日死去。享年76歳。死因は急性心不全。当時、会長だった。


本山修策

(もとやま・しゅうさく)

【就任期間】
1955年7月29日~
1987年6月

【生まれ】
1905年

【死去】
1989年3月19日(享年83歳)

島根県の副知事から初代社長として招かれた。32年にわたり社長を務め、国内有数のガス会社へと導いた。

社長就任時の年齢

50歳

出身校

東京帝国大学

実績

配送業務を分離

配送業務を分離して配送業者に委託した。これにより、営業マンは、一般消費者との契約獲得に奔走できるようになった。厳しい肉体労働だった配送業務を分離したことで、営業マンの定着率が改善した。

給湯器の販売

家庭風呂に着目し、給湯器の販売に力を入れた。最初は大口団地から始めたが、東京オリンピックの頃には小口の消費者にも実施し、成果を積み重ねた。

逝去・葬儀

1989年3月19日午後0時52分、死去。享年83歳。死因は急性心不全。東京都千代田区の杏雲堂病院で永眠。葬儀の喪主は妻、静江(しずえ)さんが務めた。


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