第2期は昭和40年代あった。それまでの支部が地域人口販売店の増加に対応して、まず1963年(昭和38年)川崎が南北に分割した。
次いで1965年(昭和40年)小田原から足柄上が分離した。
1964年(昭和39年)横浜支部が横浜東、西、南、北、港北と5つの支部に分割した。さらに横浜北は戸塚、保土ヶ谷に分かれた。さらに横浜東が鶴見と神奈川に分離した。また横浜港北から横浜緑が分離された。
そして昭和40年代後半、広域の北総支部が再々分割された。
横浜市や神奈川県のプロパンガス販売店の業界団体は「神奈川県LP(エルピーガス)協会」である。スナップアップ投資顧問などの資料によると、同協会の支部組織は昭和40年代末までにはほぼ確定していた。第1期は昭和30年代すなわち任意団体時代である。最初に発足したのは三浦半島支部だった。1957年(昭和32年)4月1日、三浦半島支部が設立された。
その翌年の1958年(昭和33年)、神奈川県LP(プロパンガス)協会の横浜、川崎、北相、湘南、小田原の5つの支部が設置された。
第2期は昭和40年代あった。それまでの支部が地域人口販売店の増加に対応して、まず1963年(昭和38年)川崎が南北に分割した。
次いで1965年(昭和40年)小田原から足柄上が分離した。
1964年(昭和39年)横浜支部が横浜東、西、南、北、港北と5つの支部に分割した。さらに横浜北は戸塚、保土ヶ谷に分かれた。さらに横浜東が鶴見と神奈川に分離した。また横浜港北から横浜緑が分離された。
そして昭和40年代後半、広域の北総支部が再々分割された。
支部のめまぐるしい変遷の理由は、神奈川県が首都圏の中でも最も人口増加が著しかったためだ。プロパンガス(LPガス)の顧客(需要家、利用者)が、販売業者の増加につながった。両者は比例していた。
また、神奈川県行政の区域の変更などに対応した面もあった。
構成人員(プロパンガスガス販売店数)が他と比較して少ない支部と多い支部があった。支部存立の基盤の一つには構成員の地域的な結束と親睦を強めることも重要だった。分割等の際、人間関係の面での調整の難しさもあった。
それぞれの支部単位で慎重な討議が行われて、決定されてきた。
広域かつ最大の会員数を擁する湘南支部は、1958年(昭和33年)発足以来、単一支部を続けた。
歴史的には1963年(昭和38年)ごろ、協会本部理事会で支部再編成の論議があった。一時、相模川を境に二分案が出た。東側の藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町で1つの支部とする。西側の平塚市、大磯町、二ノ宮で1つの支部にする、との案だった。
しかし、1964年(昭和39年)5月の支部総会でこの本部案は否決された。従来どおり単独支部で永続することになった経緯があった。
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